”リセマラ思考”がもたらす”孤立”について考えてみた

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ちゃおっす、筆者だ。

日々、生活している中で、「これはきついなぁ」ってものを思い浮かべてほしい。

その中に、「人間関係」はないだろうか?

え、ない?じゃあ今日の記事はおしまいだ。

まぁちょっと待ってほしい。おそらく「人間関係」に難しさを感じている人はわずかにでもいると思う。実際に筆者は新しい人と人間関係を作ることにおいて、大変さを感じる。どうもインキャ人間です。

今回はダイヤモンドオンラインで、「【精神科医が警告】「孤独な大人」になりたくなかったら、真っ先にやめたほうがいい“リセマラ思考”とは?」という記事をみて、人間関係について筆者の視点から考えてみたいと思う。

大変さを感じることもある「人間関係」で、人間関係の形成がうまくいかないのは実は”リセマラ思考”のせいだったんじゃないかなんて思ったから、今日はみんなと一緒にこのことについて考えていきたいと思う。

緩いコラム記事になっているから、変に構えずに、気軽に読み進めてほしい。

この記事でわかること

・”リセマラ思考”ってなんぞや
・筆者の”リセマラ思考”に対する考え
・会社で人間関係を作るのが難しいのは「ホンネとタテマエ」のせい?

参考元:ダイヤモンドオンライン 【精神科医が警告】「孤独な大人」になりたくなかったら、真っ先にやめたほうがいい“リセマラ思考”とは?

この記事の著者

文筆家
たくしん
takushin

プロフィール
  • 野球歴13年 小学〜大学まで
  • 主にキッチン、接客、フィットネスインストラクターのアルバイトを経験
  • 吃音症歴20年
  • オートローン会社(金融業界)に1年半在籍
  • スーツ生地メーカーのオーダースーツ販売店に約4年在籍
  • 百貨店販売員経験あり
  • 読書を月10冊ほど
  • 筋トレ歴約7年
  • 文章を書く時に一番饒舌になるタイプの人間
目次

”リセマラ思考”ってなんぞや?

まず”リセマラ思考”ってなんぞや?という話なのだが、ここであまり解説してしまうと、ダイヤモンドオンラインさんに大変失礼になるので、詳しくはダイヤモンドオンラインさんのサイトで記事を読んでほしいんだけど、簡単に伝えると、「人間関係を簡単にゼロにする行為」だという。

そもそも、「リセマラ」自体聞き慣れていない人のために、もっと噛み砕いて話すと、アプリのゲームである、「最初のガチャを回して自分が狙っているキャラじゃなかったら、アプリをアンインストールして、インストールし直してお目当てのキャラを当てる」という行為だ。

今回は、この現代語ともいえる言葉を用いて、人間関係における問題に対してとっつきやすくしている。

なんか、最近では、現実でもこういう人間関係などの”リセマラ行為”をしてしまう人がいるらしいから、警鐘を鳴らしているみたいだ。

筆者は意図してアプリゲームのリセマラはやったことないけど、飽きては消して、ハマりそうならダウンロードしてを繰り返しているので、無意識でゲームのリセマラはやっていたっぽい。

この記事の著者いわく、これを現実でも行ってしまっているらしい。コワイ。

参考元:ダイヤモンドオンライン 【精神科医が警告】「孤独な大人」になりたくなかったら、真っ先にやめたほうがいい“リセマラ思考”とは?

”リセマラ思考”が人間関係からの”孤立”に繋がってしまうのか?

 【精神科医が警告】「孤独な大人」になりたくなかったら、真っ先にやめたほうがいい“リセマラ思考”とは?では、現実に、一例として「SNSのアカウントを突然消してしまい、人間関係(友だち登録)をゼロにしてしまう人」というのが、”リセマラ思考”に侵されているらしい。

で、この”リセマラ”してしまう根本的な原因を「周囲の人を”人”としてみていないから」ということを、この記事では言っている。

これは……なんというか、突飛な発言と言いますか…。死角からストレートパンチが飛んできたような衝撃を感じた。

実際に、筆者の周りにも急にSNSのアカウントを消してしまう人も何人かいたが、その人たちは決して人をひとしてみていなくはないと思う。いや、決して、この記事の考察を否定しているわけではなくて、筆者自身の目線で考えた時の話だ。

現に、筆者も高校生の頃、中学生の友達とは全く違う学校に進学し、疎遠になってしまい、部活も忙しかったと言うこともあって、「友達関係をクリーンにしよう」という愚かな考えを持ってしまい、実際に、SNSのアカウントを消したというまさに”リセマラ”をしたことがある。

ただ、この時も「人を人としてみていない」という気持ちも考えももっていなかった。

この記事では「人を人としてみていない」のは、人を背景やシステムのように認識してしまい、行き着く先は”孤立””孤独”と言っている。

ここに関しては、あっていると思う。「人を人としてみていない」ということはないが、今まで仲良くしてくれた、”情”で繋がっている友達を軽々しく自分の都合で身勝手に切ってしまうという行為は、人から愛される行為とは言えず、結果、”孤立”してしまったり、”孤独”に陥ったりしてしまうと思う。

筆者はこれを高校1〜2年生の頃に経験した。今振り返るとあまりにも愚かで、自分勝手な行為だったと思う。

”リセマラ思考”にならないためには?

では、こうした、人間関係からの孤独を助長してしまう”リセマラ思考”に陥らないためにはどうすれば良いのか?ということを考えていきたいと思う。

みんなはどう思うだろうか?なんか、冒頭で「みんなと考えていきたい」とか言っておきながら、気づいたら一人語りになってしまっていた。すみません。

筆者のような”リセマラ思考”のようなものになってしまう背景としては、なんか「孤立がかっこいい」っていう思考があったと思う。

高校生になって、それまでとは全く毛色が違う人の群れに入って、地元が同じではない全く知らない人と接する世界に入ってから、おそらく、「地元から出ない人たちと自分は違うんだ」という謎の優越感を抱いていたんだと思う。簡単に言うと見下していたんだろう。最低だ。

これが思春期たる思考回路なのか、その頃の自分の本性が小物だったのかはわからない。

こう考えると、”リセマラ思考”に陥ってしまうのは、「人のつながり」というのをおざなりにしていたのが原因だと考えられる。確かに、こう考えると、この記事で書かれている「人を人としてみていない」ということはあながち間違いではないのかもしれない。

「人との縁」を軽んじていた

この記事でも書かれていたが、「人は一人では生きていけない」これは、筆者もおそらく、別の記事でちょくちょく言っていることだが、まさにそうだと思う。

人は生きているだけで、誰かに支えられているし、自分自身も誰かの支えとなっている。

これは、「お金」とかそういう低い次元の話ではない。

「人」は一人じゃ生きれないんだ。その真理を踏まえると、「人のつながり」の重要性が見えてくるだろうし、その重要性がわかっていれば、”リセマラ思考”になんてものにはならないと思う。

そうは言っても人間関係って難しいよね

そうは言っても人間関係って難しいよね。

人って色々な人がいる。自分と全く同じ価値観、味覚、嗅覚、好み、理念の人なんてのはいない。

だから、人間関係ってお互いの「情報交換」がベースになってて、この情報交換っていうのが難しいんだ。

人って超高機能な存在だから、言語だけじゃなくて、感情、ちょっとした仕草、行動、色々なところから情報を得られる。だから、自分が意図した情報を必ず与えられるわけではないし、思考力もあるから、ちょっとした情報源から意図しない情報に結びつけられてしまって、「あぁこの人とは合わないな」って判断されてしまうこともある。

だから、お互いの本音を語り合える良い人間関係を作るっていうのは、実は超難しいし、そういう人間関係ができること自体奇跡に近いと筆者は考えている。

そう、人間関係は難しいものなんだ。人間関係なんて一筋縄ではいかない。でも、人は一人では生きていけない。

でも、よく思い出してほしい。人間っていうのは”超”高性能な存在なんだ。それは間違いない。これはある特定のコミュニケーション能力が高い人だけがもっているものじゃない。みんなもっているものなんだ。つまり、人と良好な関係を作る能力というのは誰しもが持っている長所だと筆者は考えている。

これらを踏まえて、きみならどうする?

「ホンネとタテマエ」って実は害悪なんじゃないか

社会人になると、急に学生の頃とは違い、人間関係を作る難易度っていうのが高くなる

これはなんでか?考えた時に、ある仮定にいきついた。

それは会社には「ホンネとタテマエ」があるから、本音を共有できる良好な人間関係っていうのが作れないんじゃないだろうか。

なんか、コラムだからめちゃくちゃいうけど、筆者はこの「ホンネとタテマエ」ってめちゃくちゃ害悪だと思ってる。

この暗黙の了解があるせいで、会社に属する人間はせっかく自分に宿っている「人と良好な人間関係を作ることができる能力」に蓋をして、「自分には長所がない」って嘆いている。

確かに、タテマエを言って、当たり障りのないコミュニケーションをすれば、「人間関係つれぇ…。」っていう思いをしなくて済むもんね。

人と会話をして色々なところから情報を得て、それに合わせてコミュニケーションをするっていうのは確かに労力がかかる。仕事っていうただでさえ労力がかかることをやっているのに、そんなところに労力使ってる余裕なんてない!ってこともわかる。

けど、こうやって、タテマエばかりを言っていたら、自分のホンネがホンネじゃなくなってしまうんじゃないかな?

ホンネが見えないから、本音を共有する人間関係を作ることができない。これってまさに、筆者が高校生の頃に経験した「人のつながり」を蔑ろにしていることと一緒なんじゃないかな?

筆者は今まで2つの会社にいたことがあるけど、みんな本音を隠しすぎてる。

本音で話し合って、本当のつながりっていうものはできると筆者は考えているんだ。

実際に、本音で語り合った人たちとは今でも連絡をとる仲でいてくれている。

「ホンネとタテマエ」は確かに、円滑な人間関係を形成して、仕事をやりやすくするっていう効果があるとは思うけど、果たしてそれで進んだ仕事って、会社が実現したい”理想”なのかな?会社が行うべき、社会への”価値提供”になるのかな?

筆者は”リセマラ思考”が増えているという見解ももちろん危ない傾向だとは思うんだけど、会社での「ホンネとタテマエ」の横行による、当たり障りのない人間関係しか作れない。っていう現状の方が人と人とのつながりを見失ってしまう根本的な問題なんじゃないかなと思う。

さいごに

最後は”リセマラ思考”は一体どこに行ったんだって突っ込まれそうな話の流れをしてしまったけど、筆者なりに、”リセマラ思考”について考えられたんじゃないかと思う。

自分で考えられたつもりだけど、最初は「一緒に考えよう」とか言いつつも読者の皆さんを置いてけぼりにするような話の流れをしてしまって申し訳ない。

マラソンで一緒に走ろうとか言って最後に裏切るやつみたいになってしまったね。

人間関係ってプライベートでも仕事でも難しいものだよね。

今回の記事が、人間関係で頭を抱えている人の一つの何かのヒントになれば嬉しいでごわす。

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著者

「20代のバックアップ」をテーマにしたブログを運営する執筆家。物事に真面目に取り組んだけど上手くいかず、周囲から嘲笑されてしまった経験から自分の心に素直に従って頑張る人のサポートができればと思い発信。記事は全て自らの手で書いています。このサイトでは世渡りの為の知恵のほかに「20代に良いビジネス書」「装い道具」「人間関係を良くする物」等を紹介しています。

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