人の行動や結果は”偶然”ではない!?決定論的考え方(モチベ)

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こんにちは、筆者です。

仕事やプライベートの中で

・仕事がうまくいった
・成果があがった
・欲しいものが買えた
・仕事でたまたま失敗してしまった
・運良く抽選に当たった
など

色々な、良いこと・悪いことを経験したことはありませんか?

このように生きていく中で、人の行動や、起きる結果というのが”偶然”に感じることがあると思います。

ですが、もしこの世の中に”偶然”というのはない。としたら、どう思うでしょうか?

今まで”偶然”として片付けられていた物事が、実は「決まっていたこと」だとしたら……。

今回は「人の行動や結果は”偶然”ではない」ということについて、「決定論」という思考に基づいて”偶然”を深掘りしていきたいと思います。

この記事が読者のみなさんのモチベーションを上げる役に立つことを願いながら書きます。

この記事でわかること

・”偶然”はないと考えることで得られること
・決定論とは?
・決定論に関する学術的視点

この記事の著者

文筆家
たくしん
takushin

プロフィール
  • 野球歴13年 小学〜大学まで
  • 主にキッチン、接客、フィットネスインストラクターのアルバイトを経験
  • 吃音症歴20年
  • オートローン会社(金融業界)に1年半在籍
  • スーツ生地メーカーのオーダースーツ販売店に約4年在籍
  • 百貨店販売員経験あり
  • 読書を月10冊ほど
  • 筋トレ歴約7年
  • 文章を書く時に一番饒舌になるタイプの人間

目次

人の行動や結果は”偶然”ではないとして”何”を得られるのか?

日々を過ごしていく中で出会う、”偶然”について、深掘りして考える前に、まず、これを考えることで、”何”を得られるのか?みなさん気になりませんか?

日々の中で出会う”偶然”について考えることは、次のことを得ることになると思うんです。

・モチベーションが上がる
・人に対しての怒りをコントロールすることができる
・”今”この時との向き合い方
・”過去”との向き合い方

”偶然”について考えることで、このように新しい”意識”や”視点”を得ることができると思います。

今回は、上記のことを得られるとわかった上で、以下の文を読んでみることで、何かしら自分の中から感じ取ることができることがあると思いますので、上で紹介したことが得られるということをおさえておくと良いと思います。

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人の行動や結果は”偶然”ではないのか?

人の行動や結果の中で、「これをやってきたんだから、この結果になるのは当たり前だ」「こういう考えを持っているんだから、その考えに沿った行動をするのは当たり前だ」と思う出来事はあると思います。

ただ、その一方で、「なんでこれが起こったのかはわからない」「偶然その結果を得た」という”偶然性”が強い、人の行動、結果もあることはないでしょうか?

これをもうちょっと考えてみましょう。

実は自分ではコントロールしているつもりでも、偶然でできている行動や結果ということは多いのかもしれません。

というのも、自分の考えをもとに行動を起こしたと自覚しても、もっと考えてみると、その考えをもったということ自体は”偶然”なんじゃないでしょうか?

例えば

「人を守る」という考え方をもっていたとしましょう。

人の”考え”なるものを形成するのには、”影響”が大きいので、その影響はどんなものなのか?ということを考えなくてはいけません。

「人を守る」という考え方をもったのは、子供の頃にみたヒーローアニメがもとになっている、という”影響”があったとしましょう。

では、ここで考えてみます。

その子供の頃に自分の考えを形成するキッカケをくれた、ヒーローアニメに出会ったのは”偶然”でしょうか?それとも”必然”でしょうか?

ここでは、この出来事を”偶然”として考えてみます。

このように考えれば、「あぁ確かに偶然ってあるな」と納得しやすいのではないでしょうか。

次に、この”偶然”っていうのは実は”ない”んじゃないか?と考えてみます。

これ、めちゃ難しいですよね。

だって、さっきまで「偶然はあるんじゃないでしょうか?だって〜」ということをツラツラと言っていたにも関わらず、急に「偶然はない」と言い出しているんですから。

ですが、大事なのでついてきてくださいね。

この「偶然はない」という考えに至ることができるのは、「決定論」という思考があるからなんです。

次に「決定論」について深く掘り下げてみましょう。

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決定論とは?

「決定論」とは「宇宙に起こる全てのことは、過去の出来事と自然法則によって、あらかじめ決定されている」という哲学的な思考です。

「?」

ちょっとわかりにくいですよね。

簡単にいうと、「この世の中には”原因”と”結果”が結びついている」という世の中の原理を説いているものです。

つまり、結果があれば原因があるし、原因があれば結果がある、という”偶然”を考慮していない考えなんです。

この決定論という哲学的思考の起源は紀元前5世紀、古代ストア派哲学にまで遡ります。

紀元前5世紀頃の哲学者である「レウキッポス」と、その弟子である「デモクリトス」が提唱した「原子論」の中で、「世界は原子と空虚からなり、原子の機械的な運動や衝突によって物事が必然的に決定する。」といっているんです。

何が言いたいのかといいますと、「全ての事象は偶然ではなく、必然的に起こる」ということを根本原理として捉えている論だということ。

これは実際に「デモクリトス」の師匠である、「レウキッポス」が「いかなることも偶然によって起こらない。全てのものは根拠から必然によって起こる。」という数少ないレウキッポスの記録の断片から発言していることからわかることです。

よって、師匠の思考の原点を通して、「原子論」は事象の必然性を説いているというわけです。

これが、「決定論」の原点になります。

つまり、この哲学的思考から、「この世の中にある”偶然”というのは”ない”」と言えるのではないか?ということをいいたいのです。

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決定論と関連する学術的視点

決定論だけを紹介しても、「一種の哲学的思考」に落ち着いてしまうので、なんとも説得力に欠けている部分を感じてしまうかもしれません。

実は、「決定論」というのは、単なる思考に留まらず、様々な学問でも、物事の考えの”核”として存在しています。

では、実際に様々な学術的視点から「人の行動や結果は偶然ではない」ということについて、さらに深掘りしていきたいと思います。

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ストア派哲学

これも「哲学」ではありますが、「決定論」を語る上で、とても大切になってくるものなので、解説します。

まず、「決定論」では、人間の「自由意志」というのは”ない”といっているということをおさえておかなければなりません。

人間の「自由意志」というのは、自分の意志でああしたい、こうしたい、といったことです。

「決定論」では”偶然”はなく、全ては必然であり、世の中は必然的に進んでいる。ということをいっているので、人の意志は関係なく進んでいるということを説いているのがわかりますね。

で、ここでやっと「ストア派哲学」なのですが、ストア派哲学では決定論の偶然性の否定をもっていると同時に、決定論では否定されている「自由意志」というのを肯定しているという、両面性をもちあわせているのです。

つまり、「偶然はないけど、人間の自由意志もある部分はある」といっているのです。

この両面性は自分たちでコントロールできる部分を見つめて、心の平穏を図るという実用性をかねている哲学であり、「決定論」とはまた少し違った一面がある思考です。

この別の思考を持つストア派哲学からみた決定論は、以下のように説かれているんです。

ストア派では、世界は「ロゴス」という、宇宙を統治する理性の法則によって秩序づけられており、全ての出来事は因果の連鎖によって生じること。

これにより、外部で起こることは「ロゴス」により運命付けられており、人の力では変えることができないものである。

おっと、「人の力では変えられない」と言ってしまっていますね。

「最初と言っていることが違うじゃないか!」そう思うかもしれません。ですが、ストア派哲学の決定論にはまだ続きがあります。

人にはコントロールできる部分がある。それは、”内面的なこと”や”自らの判断”だ、といっているのです。

つまり、この世界の摂理である「ロゴス」から生じる外的な出来事は決定論でどうすることもできない、受け入れなければいけないことである一方で、人間の内面的な部分である、自らの判断や思考はコントロールすることができる。

と説いているのがストア派哲学の基本的思考なんです。

まとめると…

ストア派哲学では、偶然というものは無く、全ては世界の摂理によって決まっていると説いている一方で、人間の内面的な部分についてはコントロールすることができる。

といった、決定論を肯定しつつ、その上でどうすれば良いのか?ということを気づかせてくれる学術的視点なのです。

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ラプラスの悪魔

「ラプラスの悪魔」というのは、フランスの数学者「ピエール・シモン・ラプラス」が提唱した概念で、古典物理学に基づいた論理です。

おそらくなんとなく「ラプラスの悪魔」というのは聞いたことがあるのではないでしょうか?

「ラプラスの悪魔」と偶然性を否定する「決定論」に、どんな関係があるの?っていうことですが、これ実は、めちゃくちゃ関係しているんです。

ここでは簡単に「ラプラスの悪魔」を説明していきますね。

まず、「ラプラスの悪魔」を説明する前に、「古典物理学」を説明しなければいけません。

「古典物理学」は「決定論」の根本的な原理である、「因果律」(原因と結果の結びつき)を元にした学問で、目に見える世界の動きや現象といった、大きなスケールの物理現象を正確な法則によって考えるというものです。

学校で習うであろう、慣性の法則、運動方程式、作用反作用の法則といった「ニュートン力学」も古典物理学の一つです。

なんか、学校で習いましたよね。筆者も「電車に乗ってる時になんで、早く動いている電車の中でそのままでいられるのか?」みたいなことを授業でやった気がします。

この「古典物理学」の原理として考えられているのが、世の中には粒子が存在しており、その粒子というのは、ある法則性に則って、運動したり、位置したりしている。ということです。

だから、運動方程式とか慣性の法則などといった、物体の動きに関する「法則性」を説いた論理があるのです。

で、この「古典物理学」を”正しい”と認識した時に、粒子の運動、運動量、位置、法則性などが分かる、人間の知性を超えた超越的存在がいた場合、それらの情報を得ることで、すべての未来を完全に予想することができるよね。っていうことを考えたのが「ラプラスの悪魔」っていう思考実験なんです。

つまり、「ラプラスの悪魔」から、古典物理学を正とした時に、もし、人間の知性を超えた存在がいたとしたら、未来を完全に予想することができる。ということは、そもそも偶然的な出来事は、人間の知性では認知しえないものであり、超越した存在にとっては、すべて”必然”だと捉えることができるよね。ということを言いたいのです。

ただし、現代物理学では、この”粒子の動き””法則性”といったことに対して、確立された法則性というのを否定する論理も出ていることから、古典物理学自体否定されています。

ただ、まだ議論は続いているということなので、「完全に正しい」とはいえませんが、一つの「世の中の偶然性を否定する」視点にはなるのではないでしょうか。

まとめると…

・「ラプラスの悪魔」は「決定論」に基づいた「古典物理学」の「決定論」を浮き彫りにさせる思考実験。

・「ラプラスの悪魔」では人間の知性を超越した存在を仮定して、偶然性を否定している。

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ビッグバン宇宙論

次に、宇宙科学の視点から、世の中の”偶然性”を否定していきたいと思います。

皆さん「ビッグバン宇宙論」というのをご存じでしょうか?

「宇宙ってどうやって始まったの?」を論理的に考えたものです。

”宇宙の誕生”ってロマンありますよね。

ロマンを感じるってことは、宇宙の誕生があたかも”偶然”の出来事と捉えていることからくる気持ちと考えられます。

皆さんは宇宙の誕生は偶然だと思いますか?

宇宙の誕生を論理的に解釈することで、宇宙誕生から感じる”偶然”が”偶然ではない”と考えられるんじゃないでしょうか。

ということで、この「ビッグバン宇宙論」ってどんな論理なのか?を解説していきたいと思います。

この「ビッグバン宇宙論」というのは3つの論理的根拠により、確立されているものです。

3つの根拠とは

・宇宙膨張論(ハッブルの法則)
→遠方の銀河ほど、速い速度で遠ざかっているという、実際に観測をしてわかっていることです。これにより、「宇宙は膨張している」ことがわかり、膨張しているということは過去にとんでもない衝撃があったことを示唆しているとわかっています。

・宇宙マイクロ波背景放射(黒体放射)
→宇宙から観測されるもので、これは宇宙誕生後、約38万年後頃に、高温高密度だった宇宙から放たれた光の残光と考えられているものです。これがビッグバン宇宙論の大きな根拠になっています。

・軽元素の存在比
→宇宙誕生直後に水素、ヘリウム、リチウムなどの軽元素が合成されたと予想されており、実際に観測される、これらの軽元素の存在比が、予測されていた値と、よく一致しているという点において、ビッグバン宇宙論の裏付けとなっている理論です。

「宇宙が出来上がる過程」についてこれほどまでに、科学的に裏付けされているわけです。

多くの裏付けがある点において、「宇宙の誕生」というのは、決して”偶然”で片づけられるほど簡単なものではないのかもしれません。

まとめると…

・ビッグバン宇宙論はまだなぞが多い”宇宙”について考えるため”偶然”で片付けてしまいやすい。

・宇宙の誕生には宇宙が誕生するに値する根拠がある。

・根拠が多くあることから、”偶然”とは言い難い

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”偶然”は思考のブレーキ

いかがでしたでしょうか。

最初にお伝えした、偶然というものはなく、必ず結果に対して原因があると考える、「決定論」をもとに、色々な学問目線から、”偶然”ということについて考えてみました。

このように、日常の”偶然”について学術的な視点をもって見つめてみると、私たちの生活の中に存在している”偶然”という事象が、実は”必然”なんじゃないか?と感じてしまいますよね。

ただ、正直、”偶然”が”必然”なんじゃないか?なんてことは問題ではないのです。

何よりも問題になるのは、「偶然である」と物事を終わらせてしまうことです。

自分たちの行動や結果などの事象に対して「偶然だろう」と思うことは、それ以上の思考をやめてしまう、いわば、思考のブレーキと化してしまうのです。

私たちの行動や結果という日常でめぐりあう事象からは、様々なことを学んだり、気がついたりすることができます。

それにより、自分たちの可能性を広げたり、視点を広くもてたり、自分の中にある意志を確立させたり等が出来るのです。

つまりは、「偶然」の背景をみようとすることで、今までとは違う自分をみつけることが出来るということです。

ですから、自分たちの行動や、出会った結果に対して、自分が認知することができそうもなく、考え抜くことが難しいと思ってしまい、思考をやめ、「偶然」と片付けてしまうことは、新しい自分と出会う機会を捨ててしまっているかもしれません。

「偶然」はあっても良いのですが、事象のすべてを「偶然」と片付けるのではなく、少しでも、その事象の背景をみてみることが、新しい”何か”を手に入れることができるキッカケになるのではないでしょうか。

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まとめ

今回は「人の行動や結果などの事象は”偶然”ではない」ということについて、哲学的な思考である「決定論」からはじまり、「ストア派哲学」「ラプラスの悪魔」「ビッグバン宇宙論」などの他の学問的視点から”偶然”について深掘りしていきました。

筆者はこの記事を書いている中で、「学問というのは一つの”問い”から始まっている」ということを知り、その問いについて深く考えたからこそ、今もなお語り継がれる論理に昇華したのではないかななんて思いました。

ですので、”偶然”という事象も、一つの問いとして深く考えてみることで、自分にとってのかけがえのない気づきを得ることも、他の人に伝えられるような論理を得ることもできると思います。

皆さんは今回の記事、いかがでしたか?今回の記事が何か考えるキッカケになれば嬉しいです。

それでは閲覧ありがとうございました。

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著者

「20代のバックアップ」をテーマにしたブログを運営する執筆家。物事に真面目に取り組んだけど上手くいかず、周囲から嘲笑されてしまった経験から自分の心に素直に従って頑張る人のサポートができればと思い発信。記事は全て自らの手で書いています。このサイトでは世渡りの為の知恵のほかに「20代に良いビジネス書」「装い道具」「人間関係を良くする物」等を紹介しています。

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