筆者

ようこそ、筆者のプロフィール紹介ページへ。
このページへ訪れてくれたということは、筆者のことに少しでも興味を持ってくれたということでしょう。本当にありがたい。ですが、一つだけ忠告しておきます。あなたの予想以上になんてことない経歴だから、あまり期待をしないことです。
ともかく期待をそこそこにこれからのページを読んで欲しいです。それがこのページに訪れてしまった人に課す”決まり”といっても過言ですね。
気軽に読んで欲しいです。
筆者とサイトのプロフィール
筆者とサイトのプロフィールを説明しよます。
サイトの名前
サイトは「YowaTari-ヨワタリ-」という名前であり、これは「このサイトを訪れた人が程よく頑張って世を渡れますように」という願いを込めてみた名前です。
我ながらなかなかセンスが良い名前だと思いますが、実は私の奥さんと決めた名前であり、1:9の割合で奥さんが考えたということから、まったくもって実力ではなく他力本願で得た名前なのです。
ですが、サイトの名前通り、「YowaTari」に出会ってくれた人に少しでも世を程よい頑張りでうまく渡れるような気づきを得てもらえるように活動していくつもり。
ペンネームの由来
ダニエル・クレイグ主演映画である「007」好きということと、「キングスマン」というスーツで戦うスパイ映画が好きということから”紳士”に影響されたこと、卓上で文字を書いて伝える事が好きという二つの理由から、「卓上紳士」にしようと考えましたが、名前がかたっくるしいと思ったので、YouTubeの神様である「ヒカキン」さんにあやかり、「たくしん」という名前に至ったというのがペンネームの由来です。
ペンネームを「たくしん」にしてから数年が経ったが、いまだにイマイチ腹落ちしていない感じがします。自分で考えたからからでしょうか?
筆者の簡単な経歴
サイトのコンセプトの文言に「筆者の経験から得た気付きをお届けする」というなんとも高尚にみえる言葉が書かれていますが、この時読者の皆さんは思ったはずです。「いったいどんな経験をしたうえで書いてるんだ?この鹿野郎は」と。
ですから、簡単に経歴を紹介して少しでも読者の皆さんに知ってもらおうと思います。
新卒時代・・・オートローン会社に入社
⇒主に中古車を買うときの貸金業。基本車屋さんの社長を相手に商売する。
⇒運良く社内の新人営業コンテストで1位を獲らせていただく。
⇒これまた運良く社内新規事業案コンテストで3位(特別賞)をいただく。
⇒約一年半お世話になる。
新卒2年目・・・貯蓄ゼロに
⇒転職を決意し、当時興味があったオーダースーツ販売店の門を叩く。
⇒アルバイトとして雇用されるが、退職による費用の発生で貯蓄がゼロに。
⇒スーツのアルバイトだけではお金が足りず、ローン営業時代の取引先車屋さんのアルバイトにも入らせていただく。
⇒平日オーダースーツ、土日車屋の従業員として半年間働く。
新卒3年目・・・正社員となり関東へ舞い戻る
⇒アルバイトだったオーダースーツ販売店、正確には服地メーカーで正社員雇用され関東の直営店本店へ配属となる。
新卒5年目・・・直営店から百貨店へ
⇒直営店から百貨店へ配属となり百貨店のオーダースーツ販売員となる。
以上、筆者のこれまでの経歴を簡単に紹介してみました。
金融業から小売業(メーカー)への転身という自分で書いていても、おかしな経歴をしていると思います。非常に理解に苦しみますね・・・。
本当はもっと書きたい経歴がありますが、さすがに読者さんにこれ以上お見苦しい姿をさらすわけにはいきませんので、下のページでもっと詳しい経歴を書きたいと思います。
いや、結局書くんかい。というツッコミをセルフでしていきますよ。
より詳しい筆者の経歴
物好きな親愛なる読者様へ。
より詳しい筆者の経歴ゾーンへようこそ。
このゾーンでは筆者の経歴を嫌と言うほど紹介してるので覚悟して読むようにしてください。
あまり長ったらしく書いても読むのが苦痛になってしまうので出来事ごとに端的に紹介していこうと思います。
学生時代
筆者の学生時代は「内向」「友達少数」「野球」の3つで紹介できます。
まず「内向」だが、学生時代は内向的な性格でした。(今もですが)
小学生時代は休み時間にグラウンドで友達とサッカーをするくらい活力が溢れていましたが、中学高校になると休み時間は教室か教室の前の水道あたりで友達と喋るか、机に突っ伏して寝るという行動に変わり、高校時代は完全に友達がほぼゼロ、休み時間中も机で寝ている、たまにトイレで昼飯を食べるなど内向的ブリを発揮していました。
さらに、小学1〜2年には、吃音症という言葉が出にくくなる特性を持っていたお陰で、いじめを受けていましたね。
いじめは小学生で終わりかと思いきや、高校でも同じようなことがありました。高校では、休み時間に机に突っ伏して寝て、起きると教室にはだれもいなく、授業が始まっており、遅れて参加した授業にはみんなに笑いものにされるなど、いじめと捉えてもおかしくない経験をしました。
まあその御蔭で反骨心がついたと思っていますけど。
いじめとイジリは一緒ですよ。どう感じるかということだけ。
「友達少数」というのは説明するまでもなく、内向的だったため小学〜中学までは地元の友達が仲良くしてくれていて今でも仲良くさせてもらっていますが、高校では全くといっていいほど友達ができませんでした。(片手で数えられるくらいはいます)そもそも、あまり友達を作るのが得意ではありません。
幼児の頃は公園で他の幼児たちの輪には入らずひとり遊びに明け暮れていたみたいですから、生まれながらにそうなのでしょう。
大学では今でも連絡をとる仲の良い友人が2〜3人いるくらいです。友達は数よりも質だと思うようにしてメンタルを保っています。はい、これも気づきですね!
そんな筆者は「野球」を小学1年生から大学2年まで10年以上やっていました。プロを目指していましたが大学生でその夢を諦めました。
ただ、野球をやる中で小学生時代は副キャプテン、中学ではキャプテンを務めさせていただいたことが野球人生のなかで胸を張ってもいいんじゃないかと思う出来事です。それしかありません。
ちなみにスポーツは好きです。今でもたまに野球をしますし、プレステ4でスポーツゲームをよくします。ゲームはスポーツだと考えるタイプの人間ですよ。
一応、プロダーツプレイヤーです。
アルバイト
学生時代は「野球」だけに傾倒していたわけではありません。頑張ってお金を稼いでました。
最初のアルバイトはあまり言葉を話さなくても良いような仕事を選ぼうと、友達も働いていた桃のマークがある某有名大型飲食チェーン店のキッチンで働くことにしました。
”あまり言葉を話さなくて良い”という理由が大切です。なにせうまく話せないという特性を持っているがために、人と話す仕事は極力避けたいと思ったからです。そして、いざアルバイトを開始すると、なんとその店には出勤時にバックヤードに向かって大きな声で挨拶をしなければいけない決まりがあるらしく見事爆ぜました。
初日の出勤に続きうまく言えない日が続き、家で挨拶の練習を何度やったことか・・・。まあ挨拶の練習の前に仕事覚えろよって話ですが。
アルバイトは桃のマークの飲食店だけではありません。フィットネスインストラクターのアルバイトもしていました。
「ん?、話すのが得意じゃないんじゃないの?」と思った人がいるかもしれませんから説明しますね。
当時、筆者は社会人野球チームで野球をしていて、野球のために始めた”筋トレ”にハマってボディメイクの虜になっていました。ボディメイクの最中で体が大きく変化していくとともに、態度…いや、心も大きくなっていったんです。ですから、「あれ?意外と接客いけるんじゃね?」という勘違いからフィットネスインストラクターのアルバイトを始めました。
フィットネスインストラクターは2年働いて、そののち、いろいろな仕事もやってみたいと思い、派遣バイトに登録して倉庫で物品整理や、ワインのラベル貼り、精密機械を運ぶという名目のただの車の見張りバイトだったり、自動販売機の補充バイト、レジ打ちバイトなんかもしました。
ちなみに、レジ打ちバイトの時は38度以上の熱を出しながら1日働いてました。(やってる最中は気が付かなかった)
とりあえず自分でもちょっと書ききれなくなってこれ以上書くと読者の目の毒だと思うのでこのくらいにしたいと思います。
もっと知りたいという物好き中の物好きの方にはどっかの機会で話せることを期待しています。
社会人①
いろいろなアルバイトをしてなんやかんや就職しました。
一番最初の就職先は、冒頭でも紹介しましたが、車を買うときに利用する”オートローン”を取り扱う会社です。いまいちピンとこない人向けに詳しく説明しますと、例えば「一軒家をローンで買う」という購入方法はよく耳にすると思います。これの”一軒家”の部分が”車”に変わっただけです。つまりお金を貸す仕事。
これも余談ですが、筆者の家庭は父親の借金問題でハチャメチャになり、母子家庭になっています。そう考えると一番毛嫌いするべき業界に入社したということになりますね。
筆者はこの会社で営業として配属されることになりました。この会社での営業の役割は基本的に既存の契約販売店へ営業訪問を繰り返すという内容です。簡単に言うとルート営業ってやつですね。
ただし、筆者は2つの点において同期の営業と違いがありました。
①配属が一人だけ北海道という超遠方
②既存の契約販売店が他の営業の3分の2いかないくらい
①は読んで字のごとくです。筆者は関東出身でこの会社は東京の会社だ。何が言いたいのか?遠いんです。配属が物凄く。筆者はこのまだ見ぬ土地で1年半の孤独を過ごしました。他の同期は関東付近や関西付近。遠くても石川県とかでしたね。
②においては、営業は一人で150〜200社ほどの契約販売店を担当するのですが、筆者は100にも満たない数の契約販売店を担当することになりました。
これがどういうことかおわかりですか?
契約販売店が少ないということは売上を確保することが難しくなるということ。いかに既存販売店に信頼してもらい売上を上げるかというのが問われるのです。
ここまで筆者の経歴を読んでいただいた読者にはなんとなく感じていると思いますが、筆者がそんなバリバリ営業する人間ではありません。
でも仕方がありません。やるしかなかったですね。
結果、うまくいかず。予算未達の日々を過ごしました。
このときに方法を変えてみたのが、契約販売店の母数を上げることです。母数が増えればその分売上も上がるんじゃないかという算段でした。
結果、最多新規契約件数で同期営業コンテストで一位になりました。
一人の力では決してありませんが、今でも嬉しいくらいのありがたい出来事です。
その同じ年に社内で開催された新規事業コンテストで全社員中、特別賞という実質3位という結果をいただき、高いボールペンをもらいました。
社会人②
ある日、やっぱり「お金を貸す」という仕事に違和感を抱くようになったんですね。
自分がやっている仕事は確かに車を買えて生活が豊かになるという価値を提供しているのかもしれませんが、その豊かさの代償としてのローン会社の利益となる”金利”は不釣り合いな気がしたんです。
さらに、人はその人に見合う金額以上にお金を借りてはいけないし、多くのお金を借りるシステムがあるべきではないと偏見を感じることになったんです。
その違和感を感じているときに”オーダースーツ”というものに出会います。
筆者は大学の頃からダニエル・クレイグ演じる007が昇天するほど好きでした。さらに、営業という仕事を日々必死に行う中で、契約販売店の社長の教えにより、”オーダースーツ”を着ていました。
ということがあり、当時オーダースーツを購入していた店に「アルバイトでもいいので働かせてください。」と千と千尋並に懇願して転職しました。
そこで、30年以上のベテランテーラーのお二人や、店長、生地売りの大ベテランさんたちにスーツの原料から採寸までくまなく教わりました。
半年後、正社員として雇用され、次は名古屋でアパートを借り、名古屋と三重県でスーツ生地の勉学に励み、その後やっと関東に戻ってくることができたんです。
戻ってきてからは直営店の販売員として2年と半年の間で100人以上のお客様の採寸と接客を行いました。
そして昨年(2024年)に百貨店に異動になりまして、現在でも百貨店でオーダースーツの販売を行っていますが、こんな性格ですので正直接客はもうお腹いっぱいです。
満腹を通り越してもう吐きそうです。昔読んだ絵本でそばを食べすぎて吐いてしまう絵本を思い出します。とにかく、内向的でこうやって文を綴っているほうが饒舌になりますし、楽しいです。
ところどころ端折っていますが、社会人になって働くまではこんな感じです。
筆者の性格
自分で紹介する自分の性格なんて信憑性がないと思うのは筆者だけではないはずです。
あと、自分で「筆者の性格」なんて書いている時点で、中学生に戻った感じです。昔流行った「前略プロフィール」を思い出します。ちなみに筆者は前略プロフィールをやったことがありません。どちらかとういうと見る専でした。
御託はこの辺に、性格は読者の判断に委ねたいと思います。サイトの記事を読んだ中で汲み取った性格でも良いですし、以下の筆者自身の分析の結果を参考にしてもらっても構いません。
筆者分析結果
↓↓↓
・情が何より大切
・好奇心大好き
・誠実でありたい
はい、恥ずかしいですね。
筆者が尊敬する人たち
筆者は本当にいろいろな人のおかげで今日まで生きられていると思います。
筆者の人生の中でお世話になったいろいろな人の中で特に尊敬する人を3人ピックアップして紹介したいと思います。
ーーーシュコォォォォ
今は絶対ヒカキンさんの紹介の仕方をやる場面ではありませんね。
その3人は「母親」「出光佐三」「北海道でお世話になった人たち」です。
まずいです、早速筆者の性格の1つである「誠実さ」をやぶってしまいました。
お許しを。どうしても3人では収まりきらないのです。
筆者の「母親」からは周囲が嫌がることでも誰かがやらなければいけないことに責任を持ち行うことを学び、「出光佐三」さんからは、自己理念をしっかりと持ち、実行することを学び、「北海道でお世話になった人たち」からは人情を学びました。
天空の城ラピュタのエンディング曲の歌詞みたいな文章ですね。
どれも大切な気付きで、今でも大切にしているものです。こういった人たちから学んだことを自分だけのものにするのではなく、読者の皆さんにも共有して参考になればよいなと考えています。
筆者の目標は”もっと優しい世界”を作ること
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、筆者は本気でもっと優しい世界を作りたいと思っています。多分、これまでのいじめの経験だとかが影響しているのかもしれませんが、現状で日々過ごしていて、本気で、もっと優しい世界なら過ごしやすいのにと思っています。
ほんと小さい人間で申し訳ありませんが、電車であとから並んできたのに平気な顔で我先に乗り込む人、偉そうな消費者、自分の機嫌で周囲を不快にする人などなどを目にすると、気分が沈んでしまいます・・・。ただ、そう言う人たちからも学べることはありますが。
なぜ、もっと人に優しくなれないのでしょうか?、優しくすればお互い過ごしやすくなるのではないでしょうか?と思います。実際に、接客業をしていてお客さんが礼儀を持って接してくれて、「ありがとう」と笑顔で言われるとすごく気分が良いし、こちらも「このお客さんのためになることは何かな?」と自然と考えることができるのです。
そういう空気感を当たり前にすることで世の中はもっと過ごしやすくなるんじゃないかなと思います。筆者はそういう世界にするためにも地道ながら筆者自身が心血注げる物事に取り組んでいきたいと思います。
筆者は小さな人間です
ここまでで、なにかあまりにも目標が高尚すぎて、人間味を感じにくいと思う人がいるかもしれませんが、筆者はそんな立派な人間ではありません。
すぐイラッとすることもありますし、感情が表情に出やすいですし、寝坊もしょっちゅうします。
あと物理的に身長が低いです。
だから、なにか高尚なことをしている修行僧のように感じていただくのではなく、「鹿がなんか言ってるよ、見てやるか」という具合で参考にしてもらえれば嬉しいです。
そして筆者の作品に触れてくれた読者さんには1つでも気付きを得てブラウザを閉じてもらいたいです。
ちなみに、より筆者を感じたいという人は筆者のXをみることをおすすめします。あまり投稿していませんが。
何かあったらメッセージなり、DMなりお待ちしています。ただ、恐ろしい文を送るのはやめてね。
ここまで読んでくれた親愛なる読者様
ここまで長い文章を読んでくれた親愛なる読者様。本当にありがとうございます。
そしてこれからもお願いしますと言いたいです。
たまに失言してしまっているときもあるかもしれませんが、そういうときは「ダメよ!」とご指導ご鞭撻のほどいただければ幸いです。
では、これからもよろしくおねがいします。親愛なる読者の皆さんへ。