職場やプライベートで「この人とは仲良くなることが難しいかも…」と感じてしまうことはないだろうか?
仲良くなるのが難しいなと感じてしまう人というのは特徴があるんじゃないかと思い、気づいたことを綴っていきたいと思う。
ただし、あくまでも筆者個人の主観的意見に過ぎず、すべての人に当てはまることではないということをご了承いただきたい。
さて、偏見著者のレッテルを貼られないようにする保険をかけることができたとして、本編に入っていきたい。
仲良くなるのが難しいと思ってしまう人の特徴
仲良くなるのが難しいと思ってしまう人の特徴に「人の話を聞かない」または、「人の話に興味を示さない」というものがあるのではないかと考える。
さらに付け加えると、「自分の話はすごくする」という特徴もあると、仲を深める難易度がグッと上がると筆者は感じるのだ。
今ドキッとした方、大丈夫、あくまでも筆者の主観的意見であるから、あなたの周りの人がこのように思っている確率は低いと言えよう。おそらく。
例を出してみよう。
「自分の話はすごくするのに、人の話は聞かない人」は、自分の好きな話や、会社やプライベートの不平不満話などの関係性0の人にとって、ナメクジは砂糖でも効果があるといった生きるうえで役立ちそうもない、枝葉末節のような知識を話しているようなことをしている。(ナメクジの豆知識は使えるぞ!と思った方はとりあえず生き物を大事にするところから始めよう)
そして、相手に話すターンが回ってきても、「ふーん」「そうなんだ」と興味があるのかないのか分からない返事なのか、相槌なのか得体のしれない行為をし、再度、自分主体の話を始める。
話を聞くのが好きな人であれば、許せるとは思うが、筆者はこういう人はニガテな分類に入る。
こういう人はコミュニケーションが成り立たない。
例えるなら、野球のキャッチボールをしているとしよう。相手からはストレート、カーブ、スライダーと好き放題投げてくる。その色々な球種に対応するように会話を受け止めている。そしていざ、こっちからボールを投げようと、相手に向かって投げると、ボールの行方だけみて、グローブも出さずに取らず、無視しているという状況だ。
この状況を想像するとなんともシュールな絵面になる。
野球の経験がない人はサッカーでも良い。
強いゴロのパス、カーブをしたゴロのパス、ノーバウンドのパスを相手は蹴ってくるのに、こちらから相手に向かってパスをしても、取らないで、無視しているのだ。
このようなことを実際にやられたらきっと怒るだろう。というか、怒ってもおかしいと思わない。
一方的な会話はこれに分類するから、怒っても良いんじゃないかと筆者は思う。
コミュニケーションは”トレードオフ”
人と人とのコミュニケーションはトレードオフの関係で成り立っているんじゃないだろうか。
コミュニケーションでは、一方が一方的に話をすることは、会話相手に不快感や、違和感を与える。一方的な壁当てのような会話はコミュニケーションとは言えない。
つまり、自分の話題を話し終えたら、相手の話も聞く、相手の話題が終わったら、自分の話をする。この情報交換の繰り返しが”コミュニケーション”、”会話”というものだと考える。
相手の話を聞く、自分の話をする、このやり取りを続けることによって、お互い「どういう人なのか」という、人間性の部分や、価値観が分かって仲良くすることができるのか、できないのかと判断し、関係が進むのではないかと思う。
そのやりとりを行わないで、自分のことしか話さず、相手の話は聞かない、興味を持たないというと、お互いのことを知ることができない。話している方は「自分のことを知ってもらえている」と思うだろうが、実際には話の内容よりも「一方的に話す人」「おしゃべりが好きな人」といった表面上の情報しか伝えられていない。
トレードオフのコミュニケーションを行っていないのだから、話を聞いている方はその人に興味を持つことが難しい。
心理的な部分でいうと、返報性の原理という「お返しをしたくなる心理」が働かない。つまり、「相手は自分の話を聞いてくれないから、相手の話に興味を持たなくても良いよね」となっているのだ。
話に興味を持ってもらえないだけではない。
話を聞かない態度を意識的か、無意識的に続けていると、話を聞かされている方は「自分の話に興味なさそうだから話すのやめよ」と会話することを諦めてしまうのだ。
だから、会話とは、自分の話をしたいのであれば、相手の話も聞かなければいけないというトレードオフの仕組みになっているのではないかと考える。
一方的な話が好きな人ほどコミュニケーションができていると勘違いしてしまう
厄介なのは、一方的に自分主体の話をする人は「自分はコミュニケーションができている」と思い込んでしまっているということ。
知らず知らずのうちにコミュニケーションを諦められていることに気づかない。
これが、仕事上の話だと、さらに厄介になる。
例えば、上司や年上の同僚が一方的な壁当て喋りが好きな人だとしよう。
その人達は一生懸命部下や年下の同僚に話をかける。だが、相手の話は聞かず、自分のことばかり話す。ただ、言っておきたいのは、嫌がらせでやっているわけではない人も中にはいる。ということだ。だから、このような上司や年上の同僚を完全否定するわけではない。
それを踏まえ、部下や年下の同僚はどう思うか。
「この人と話すのめんどくさいな」
と思ってしまう。皆が皆こう思うわけではないと思うが、筆者は思う。
残念ながら、このような上司や年上の同僚はこれをコミュニケーションだと勘違いしてしまい、人事考課などで、「部下との会話はしっかりしていますか」などのマネジメント評価項目で高い自己評価をしてしまう。
そして、部下との普段の反応の薄さや、部下の人事考課と自分の人事自己評価の落差をみて「こっちは話しかけているのに反応が薄い」「せっかくコミュニケーションを取っているのに心の壁があるよね」という勝手な判断を下されてしまう。
そんな勝手な判断をくだされたこっちはたまったもんじゃない。
まあ、ここまでは例に過ぎない。実際にこういうことあるよねと言うつもりもないが、少しは同感する部分があるかもしれない。
このように勝手な判断を下さない上司や年上の同僚の特徴は、他責にするのではなく、自責、つまるところ、「こうなってしまったのは自分のせいだ、改善しなきゃ」と考える人だ。
基本、人は他人に興味がない
基本的に人は他人に興味を持っていない。
と個人的に考える。
”基本的”と付け加えたのは、興味を持っていることもあるからだ。
最初は興味がなくとも、話している中で興味を持つことがある。
SNSで赤の他人の投稿に興味を持つこともあるだろう、あこがれの人に興味を持つこともあるだろう。それらの例外を除き、基本的に他人は他の人に興味を持っていない。
こんなことを会社やプライベートで言ったら人との関係性を深めるどころじゃなくなってくるので、ここだけの話にしてほしい。
では、あなたに質問だ。
今日、満員電車に一緒に乗っていた人の顔、身につけていたもの、履いていた靴のメーカーなど事細かく覚えているだろうか?
すれ違った人の洋服の色を覚えているだろうか?
思い出せないはずだ。覚えている人はおそらくそれは、あなたに備わった特殊能力だ。その能力を活かせる仕事に就けば成功は間違いないだろう。
話の脱線はここまでにして、他人への興味はそんなものなのだ。だから、コミュニケーションでは”興味を示す”ことが大事なのだ。
興味を示せば、相手を知ることができる。覚えることができる。興味を示してもらった方は、嬉しさを感じることができ、興味を持ってくれた人にも興味を示すような相互関係が生まれ、結果、仲が深まるキッカケになる。
良いコミュニケーションは良い関係性を作る
一人語りにならず、お互いのことを知ることができるコミュニケーションができれば、気が許せる関係性、何でも話せる関係性という良好な関係性を作ることができるだろう。
良好な関係性が作れれば、職場だと働きやすさに繋がり、プライベートであれば、お互いを支え会える関係になることができる。
そういう人たちが増えれば、きっと社会ももっと良くなると筆者は思う。
ただ、こんな長々と語っている筆者が一方的な話屋にならないよう、自責の念を持ち過ごしていきたいと思う。
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